リプレイ読み

 >リプレイ眺めてルルブ所有してるだけで満足。たまにプレイする機会があっても、リプレイのマネをするだけ。こんなのはプレイできてるうちに入らん。

 >まあ、個人の勝手では有るが「リプレイ眺めて幸せ」では少しさびしい気がするな。やはり「このゲームで遊びたい」って思わせてくれるようなリプレイを期待したいところ。 「知らない」から「興味がある」まで認知度を引き上げてくれるだけでも有り難い事は有り難い訳だが。

 >でもさぁ。リプレイの真似をしても、それで誰も困ってないなら、なんら問題はないと思うんだが。

 >公式から与えられないと何も出来ない人間が量産されたら嫌だなぁ。

 >公式から与えられなくても自作する人間が増えちゃうと、お高いサプリが売れなくなるじゃないか

 >つうか元ネタがリプレイだろうがマンガだろうが聖書だろうが、セッション中にゃ元ネタそのまんまになるワケがないので、オレァどうでもいいかな。

 リプレイ読み、と呼ばれる人達がいます。ネット上では、リプレイ読みの人達が、セッションを尊ぶ一部のTRPGゲーマーから、冷ややかな扱いを受けています。

 最初は何かの冗談だろうと思っていました。しかし、ネット上の言説で、たびたびリプレイ読みに対する皮肉を見かけるうちに、これはどうやらマジらしい、ということに気がつきました。

 リプレイ読みが、セッションを行うことは稀です。リプレイ読みは、リプレイを読むことが主なTRPGとの関わり方になります。なので、セッションをしないリプレイ読みの人達を、TRPGゲーマーとして扱わないことは理解できます。TRPGゲーマーという括りには置かず、ラノベ読みの一部としてカテゴライズすること自体は、自然な流れであると思うのです。

 しかし、セッションの現場において、叩き上げで育ってきた生粋のTRPGゲーマーからすると、リプレイ読みは、ミーハーに映ったり、実践とは程遠いリプレイの受け売りだけで行動する危険分子になりかねないと、懸念される傾向があるようです。リプレイ読みは、ネガティブに捉えられ、一方的な偏見を抱かれているのです。

 個人的には、このようなレッテルはりや、漠然としたカテゴライズに、意味は無いと思います。狭い界隈なので、仲良くすればよいのに・・・と思います。ただ、その一方で、偏見に基づく差別が生まれる心理的要因は、何となく察することができます。

 例えば、セッションを尊ぶ一部のTRPGゲーマーが仮想敵とするリプレイ読みは、ミーハーなので、いずれTRPGとの関わりも断つと考えられます。にもかかわらず、リプレイ購入を通して、神のみえざる手に影響を与えます。ミーハーではないと自覚するゲーマーからすると、それは時に迷惑ですし、長期的に見て業界に貢献しません(業界を憂う一部のTRPGゲーマーが反感を抱く)。また、いずれTRPGとの関わりを断つので、TRPGを介した人間関係も断たれると予測されるために、仲間意識が芽生えにくい、ということではないでしょうか・・・。

 と、ここまで推測して、ふと気がつくのです。

 レッテルはりや、カテゴライズをして、そこに一定の性質が備わる傾向があるのでは・・・と、根拠が薄いままに、ただ漠然と思い込むことを、偏見と呼ぶなら、私は今まさに、「セッションを尊ぶ一部のTRPGゲーマー」に対して、偏見を抱こうとしています。

 イメージで対象を語ることは、対象を理解する切欠にはなるでしょう。しかし、イメージで対象を批判しても、現実的には何の意味もありません。

 リプレイ読み、と呼ばれる存在と、それを揶揄した発言をする存在。そうした漠然としか捉えられない概念の衝突を批判することで、自分自身が魔境に落ちてしまうことって、あるんじゃないでしょうか。オタクとサブカルの対立だって、現実には存在しない、仮想敵を想定した噛み合わない諍いでした。

 怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように、気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまた、こちらをのぞいているのだ。

 リプレイ読み、FEARゲーマー、馬場論者、論考系、苦行主義者、困ったちゃん、上級者、老害・・・TRPG界隈には、曖昧な括りが多数見受けられます。これらを語るとき、ニーチェの言葉を思い出す必要があるのかも知れません。

 推測を基にした、無理解なイメージによる、レッテルはりや、カテゴライズは、特定の思想を攻撃したり、ある思想の全体化を押し進めるさいの第一歩となります。とても危険な行いです。新しい括りについて語るなら、まずは、相手を理解することから始めなくてはいけないのでしょう。胆に銘ずることにします。