最近の・・・は

 >最近のゲームはお約束として死なないゲームが多いので(昔は寸止めルールとかを採用していたもののだけど)「死にたくないのに死んでしまうロールプレイ」が下手なPLが多くなってきてると個人的に感じる

 コンベなどでそういったPLに「死ぬかも知れないスリル」を上手く味合わせてやると大変に喜んでくれる。それはいいのだが彼等はロールプレイも演技も下手なので何度もやるとこっち(GM)がつまらないので「キャラシートも準備してきてないので」と嘘をつく悪い人になってしまった。小説とかを何度も読んでいろんなパターンの人間の脚本を書く能力を身に付けて欲しい。

 >根拠もなく「最近〜下手なPLが多くなってきた」などと口走らないのもプレイヤー技術として重要です。

 >(>>最近のゲームはお約束として死なないゲームが多い)多いん?いくつか挙げてみ。

 >迂闊に固有名詞を出すとなんなので いくつかのゲームは「偶然の要素」で死ぬことを極力排除してあったりする(これ自体はいいことなんだがやり過ぎると戦闘時のスリルが少ない気がしないでもない)なのでPLが死なない気でゲームすれば「お約束として死なない」という現象が簡単に起こりうる。

 それは別に悪いことでは無いはずなのだが結果的に「予想外の出来事」に対処する技術は低くなる傾向があるかも知れない。出来れば「予想外の出来事」にも素早く対処出来た方が何事も面白いかな?と思うのだがどうだろう?

 >良い悪いは別にして、そういう「予想外の出来事」を有り難がりすぎた(結果として、非常に負担の大きいゲームになってしまった)風潮に対する反省が、今のゲームに生かされている面はあるかもしれん。

 >今のシステム(といってよいのやら)は「いかに事故を減らすか」に腐心してるってことやね。特にコンベンション環境を見据えたルールだと、序盤の事故死=出番の減少になりかねんわけだし。ただ逆に、そーいった補助輪がプレイの幅を狭めてる気は、俺もする。

 >幅を狭めているというより、プレイスタンスの方向性が変わっているだけのように思う。

 >やー、言葉の違いだけども、プレイスタンスの方向性=補助輪だと思うんでさー。極端な例で、「対雑魚戦闘ではPCは無敵」なルール上で、対雑魚戦闘であえて負けるPC(PL)は少ないと思うんだよー。システムの方向性から逸脱したロールをすると、「そのプレイはよくない」とダメだしをうけそうな雰囲気があるし。

 >プレイスタイルっつーよりもデザインの方向性じゃない? 似たような物かも知れんけどさ。現実を再現して云々とかよりも遊びやすさを優先させた感じ。

 >プレイスタイルが変わってきてる、ってのも事実だと思うし、予想外の出来事に対処できない人間の割合が増えた、ってのも事実だと思う。両方が一緒くたになってる状態なんじゃないかなぁ。そんな状態で、さあセッションをしよう、という時に、どうやってみんなの足並みを揃えるか、ってのがプレイヤー技術の要なんじゃなかろか?

 >「予想外の出来事」を有り難く感じるのも、ただの負担としてしか認識できないのも、結局は個人の感じ方次第だよな。

 >まあ、できる幅の広い人間ができない人間に会わせるのがスジだろう。

 >ガープスベーシックだけをぽんと渡されて「これだけじゃできねーよ」というか「う〜ん」と悩むかの違いか?

 >安易に「できる人間」「できない人間」なんて分け方をするなよ。絶対荒れるぞ。

 >世の多くのホビーは、やめるならやめれば? ってぐらいユーザーが確立しているけど、TRPGはそこで強気に出られるほど、プレイ環境が安定していない(現に冬の時代だとか、滅亡の危機だとか騒がれていたし)。メーカー側が購買層を増やすために危機感を煽っているという陰謀論を立ち上げてもいいのだが、その辺、弱腰に事故を減らしてホビーとしての安定感を高める必要がある時期なのだと思うよ。

 >事故ギリギリのスリルを楽しみたがる性格ってのは絶対にあるよね。珍走団みたいな感じで。ただ珍走が日常的に行われるようになったら普通の人はその道路に乗り入れなくなるだろうな。

 >ジェットコースターを楽しむには丈夫なシートベルトと日本製の安全装置が必要だって話だな。

 >やー、「事故もまたたのし」って側面はTRPGの楽しみの中に確実にあると思うんでぃすよー。でなけりゃファンブルなんてルールがほぼ一般化するわきゃないですし。そう考えると「事故を減らす」っつーより「事故をコントロールする」ってのがただしーのかしらね。

 >昔のTRPGにシートベルトは無かった。「TRPGは自由なゲームだ」という売り文句に惹かれたユーザーは、「TRPGは自由で安全なゲームだ」と書かれていない解説文に注意を払わなかったため、急加速に投げ出されて大怪我した。ちょっと、横Gに強い人間は笑ったもんだ。「あの程度の加速で落とされるようじゃ、まだまだだな」って。 必死に踏ん張っている奴の手すりにサラダオイルを塗っておくような奴までいた。

 真顔で「GMが対応出来なくなる位の勝手な行動をして初めて新しい物語だ。それに対処出来ないのはGMの修行不足だ」と仰られた先輩がいたなぁ・・・・

 >「事故を起こさない」とは違う「事故が起きても面白い」というアプローチもあるんだわ。極端な例だと、パラノイアあたりは事故が前提だったりするわけで。また、冒企のサタスペ迷宮キングダムなどは、事故をどうリカバリーするかということを楽しむ構造になってると思うし。

 >つーか現在のアプローチは「事故を起こさない」じゃなくて「事故を減らす」だと思うんだわ。TRPGで扱う事象は多岐に渡る以上、そうしていかないとマスタリングが極端に負担の掛かるものになってしまうわけで(このへんが、過去に学んでいる面だな)。予想外の出来事は楽しいが、頻発するとゲームに支障をきたすから、そのへんのバランス取りをまだまだ模索してる段階じゃないかな。

 >このへん、結局は「メタ視点で何処までプレイできる?」という部分に突っ込みませんか?

 >メタ視点でプレイできない=ハンドルを放して車を運転する。メタ視点でプレイできる=ハンドルを握って車を運転する。

 基本的にはシナリオという道路を走る。前者は直進しか出来ないため、コーナーの無い道路では事故率は低い。コーナーのある道路では事故る。後者は直進以外にも操作できるので、コーナーの無い道路での事故率は低く、コーナーのある道路でも事故率は低いが、速度超過で曲がりきれない事もある。

 前者は、まっすぐ走らない車を運転するとよく事故る。後者は、まっすぐ走らない車を運転しても、あまり事故を起こす事が無い。つまり、ハンドル握って(メタ視点で)左右確認を行い(他の仲間を見て)、コーナーでは減速をしろ(独走するな)と。一緒に走っている車との車間とペースにも配慮しろと。

 皆さん例え話が好きですね。でも「事故」を含め、言葉の定義が曖昧なので、言っていること、伝わっている事、何もかもが少しずつズレている気がします。最近のシステムの傾向と、(推測される)デザインコンセプトの大局的な推移に関しては、誰もが「思うところ」があるのでしょう。